2009年7月 2日 (木)

12年目

梅雨空の下でも紫陽花のようにお元気ですね・・・とメールをくださったKさん。

時々うれしいメールをくださる素敵な奥様。キャリアウーマンとしてお母さんとしてお嫁さんとしてきちっと歩んでいらっしゃった方。

Kさんとのお付き合いは、私が保険業界に入った11年前からのご縁。そうあれから11年が過ぎ今月から12年目に入りました。経営者保険を提供する小さな保険会社に入社して4年で退職。複数の保険会社を扱う個人代理店として独立。5年半前に法人化し起業。

3年前CFP試験合格に伴い複数の保険会社を取り扱う保険代理店とFP事務所として。FPとしてはNPO法人日本FP協会の「くらしとお金のFP相談室の相談員として保険代理店としては、MDRTに2年間入会したりしながら今に至っています。

今があるのもKさんのように私を支援してくださった方々のお陰・・・とつくづくと思います。この場を借りて心から感謝申し上げます。

そうあの頃法人を訪問するのもぎこちなく、窓口の担当者であるKさんにいろいろ助けていただいたり、ご本人の保険の更新がきているということでご相談に乗らせていただいたりしてご縁が始まりました。

保険会社への入社は、主人にも反対され回りの人にも貴女は向かないから研修済むまでお給料をもらって辞めておいで・・・と何回も言われました。

しかし保険会社にいるとFPの資格が取れる・・・というのが目に入り、自分自身で納得いくまで頑張ってダメならやめよう・・・と思って淡々と仕事をし、勉強を重ねていくうちにいつの間にか数字がついて来ている・・・という状態でした。ですから数字に追いかけられるということをほとんど体験しなかった気がします。

法人税も所得税も知らなかったあの頃。保険業界の試験が2、3カ月おきにあるのでそのときに一生懸命勉強して生保大6科目まで一気に合格。

平行して中野区主催の法人税講座が週1回3ヶ月コースで2000円なんていうので申し込んで勉強したり、飯田橋の職業訓練所での夜の講座に週2回通ったりしました。とにかく安く学べたのが魅力でした。3人の子供たちの教育費がかかる頃でしたから自分への投資をしたくても不安があったからできるだけリーズナブルに。

2年を過ぎて同僚の皆が生保大を再受験している中、では私は他の試験を・・・と思い  年金の試験、AFPの試験と次々チャレンジ。AFPは受講料が20数万円と高い頃でした。教育訓練給付金も受けられるほど勤務期間が長くはなかったので自腹でした。

ちょうど夏休み一ヶ月間、中学生の娘が学校からアメリカのホームステイに行っている間に昼は保険会社で普通に勤務し、夕方や土日は電話の調査会社でアルバイトをして受講料の20万円を捻出したものです。

自分への投資ですが、預貯金からとか主人の給料から出すというのを良しとしなかったから。

夜の講座を受けるときは、朝からお夕飯の準備をして、講座がないときは5時過ぎに会社が終わると新宿駅へ走って山手線、西武新宿線と乗り換えまた走って家に戻る・・・という生活が続いていました。

今から思えば懐かしいあの頃。たくさんの人に支えられ導かれて今がある。そしてこれからもつながっていくんだなぁ~と思いを馳せたKさんからのメールで始まったことでした。

12年目を迎え初心に戻りお客様のために頑張っていこうと思った日でした。

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2009年7月 1日 (水)

スタイリッシュに!

梅雨空の中、今日から今年の後半戦です。

東京株式市場は、梅雨空のような上値の重い展開がありました。

本日発表の6月日銀短観など改善が予想されているマクロ指標の発表が相次ぎますが、ある程度の景気回復は織り込み済みとして、買い材料とは受け止められない可能性が大きいということです。

今日の日経平均は10000円台になっても後場の終わり寸前に10000円を割り込んでしまいました。確定売りをした人たちが多かったのでしょうか。

この半年株の売買をかなり勉強させてもらいました。実体験がFPのよい勉強になります。一旦は半額くらいになった株価もなんとか乗り切りプラスに(^^)

話は変わって、私の主治医の先生。ずいぶんスタイリッシュに綺麗になられましたね~って。わかってくださってうれしい~!!そうです。体重コントロールして7kgのダイエットに成功。以前はテニスもスキーもしていましたが、スポーツは全くしないで7㎏減!!

気になる方はお問い合わせくださいね。伝授いたしますから。さぁ~今月からますます頑張ってお仕事していきますね。

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2009年6月20日 (土)

実務修習生6期生の懇親会

今日は3年前一緒に学んだFPの実務修習の仲間と
久しぶりに食事会をしました。

私は3年前FPとしての実務を
勉強したいと思いWセミナーのFP実務修習を受講していました。

1月から12月まで毎週土曜日に隔週での通学。朝は10時から
午後5時までの6時間。知識のインプットありロープレでの
アウトプットあり。充実した1年でした。

私は合わせて
CFP資格も取得したいと思い6月と11月にCFP試験を
受験し合格。2006年は1年間受験生をしていました。

その頃一緒に学んだお仲間が今回は14名集合。
いろいろな大きな企業で活躍されている面々。

しかし私たちFP資格者の雇用環境にも大きな影響が出ていて
昨年からの不況の波が押し寄せていました。

景気の悪化に伴い、雇用調整助成金制度を導入して
休日が1日増えてその日は賃金が6割にカットされているとか・・・

昨年12月のボーナスが35%カット。この6月もまたカット。
そして2月から給料も何%かカットされている・・・

私学に通う小学生と中学生の教育費がかかるので大変!!とか
資産運用していたが○○千万が今は1000万円くらいに。
FPとして恥ずかしいですよ・・・と語る人あり。

12月に希望退職制度を使い25年間勤めた会社を退職し
キャリアカウンセラーの資格を取るべく通学中。そして
就職活動もしていますとか・・・

3年間の間に皆それぞれに変化が・・・そして成長が・・・

私も思い返してみるとあの年にCFP試験にチャレンジして
合格していなければ未だに取れていなかった気がします。

「今の私が一番若いのだから、今受験しなくていつやるの!」って
自分に言い聞かせて頑張った一年でした。

既にCFP資格を取得している方々ばかりでしたから、マインドもあがりました。
そして一緒にCFP試験の受験をしているお若い仲間もいてくださったので
合格ができたことと思います。

そして何より家族の支えがあったから・・・

3年前に思いを馳せ、あの時頑張ったからチャンスを掴みに行ったから
今がある・・・と確信しています。

この仲間の皆さんとはこれからもず~といろいろな形で
繋がって行きたいと改めて感じた懇親会でした。

幹事の皆さんご苦労様でした。ありがとうございました。

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2009年6月15日 (月)

TBSテレビの取材

TBSテレビから電話があり
住宅ローンの6月危機の番組を企画しているので
取材させて欲しいとの事。

夏のボーナスシーズンを前に、住宅ローンが返せない世帯が急増する
「6月危機」に備える銀行が出てきた。
リストラや賞与減で借り手の収入が揺らいでいるからだ。
金融機関側は、せっぱ詰まって返せなくなる前に早めに
相談してほしいと呼びかけている。

 「去年からの『派遣切り』や賞与の減額で、この先、
住宅ローンの延滞が出てくる。
前もって準備しておかないと、取り返しがつかない」
・・・と言う記事が朝日新聞に載っていました。

はたしてその対策は?現状は?・・・いろいろお話ししました。

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2009年6月11日 (木)

福田純子先生

本日福田純子先生
お会いしてお話をうかがいました。

人は必要なときに必要な人と出会って
縁を紡いでいくものということを
実感しました。

人生の羅針盤となるようなお話です。

縁ができたときにそのチャンスをつかむかつかまないかが、チャンスの分かれ道なのかもしれませんね。

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2009年6月10日 (水)

FP継続教育

中野克彦先生のFP6科目
総整理と改正点のセミナーを
受講してきました。

午前10時から午後5時までの6時間コースです。
場所は市谷のビジネス教育出版です。

NPO法人日本FP協会の広報スタッフとして
お仕事が決まりFP知識のリニューアルを
図るために ピカイチ講師の中野先生の講座を
選びました。

初めて受講される女性も多かったのですが
皆さんとてもわかりやすいと大好評でした。

さすが中野先生ですね。
私は3年ぶりに中野先生の講座を受けましたが
すばらしく成長されているな~と感動して
帰ってきました。

FPの継続教育セミナーを
受けるなら中野先生ですね。

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2009年6月 4日 (木)

日本FP協会のライブラリー

NPO法人日本FP協会にはライブラリーのコーナーがあります。机といすが用意されていて新刊書の閲覧、自分で購入するには費用対効果がどうなのかなって思える各省庁の白書などなど揃っていて静かに調べものをするにはとても良い空間です。

利用できる時間帯や利用要綱は、平日の10時から4時30分まで。ライブラリー内には無線LANアクセスポイントを開設してますから、図書や資料の閲覧だけでなく、自分のパソコンでインターネットの利用もできます。

利用できる方はもちろんFPの会員ですから、会員証を持参する必要があります。

静かでとても落ち着いた雰囲気のライブラリーです。一度体験してみるといいですよ。

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2009年6月 1日 (月)

出生率から思うこと

出生率が3年連続上昇・・・2008年の合計特殊出生率(1人の女性が生涯に産むと推定される子供の数)が1.35~1.37程度となり、3年連続で上昇したことが分かった。

うるう年で出生数が2年ぶりに増える見通しのほか、出産期の女性の数が減ったことが数値を押し上げた。(分母となる女性の数が減ったことによる)

07年までの景気回復で家計に余裕が生じたことなども出産の誘因になったとみられる。

ただ少子化の流れに変化はなく、出生率の上昇を持続させるには一段と効果的な少子化対策が課題となる。(2009.6.1日経新聞朝刊より)

昨年9月のリーマンショックから続いた信用収縮により、企業の業績も悪化、生産量も減産、週休3日が実施されている。そんな中、子育て中の若い年代はとても不安を感じている。

最近の相談などからも、自分たちは地方から東京の大学へ出させてもらったが、果たして自分たちの子供には大学までの費用を出してあげられるのだろうか?正直不安があると。

子育てにかかる費用、教育費をどのように捻出していくか。日々の生活も節約ムードばかりで生活自体が楽しくない、充実感が感じられない、ストレスが溜まる。どこにも持っていきようのない悶々とした気持ち・・・負のスパイラルに入ってしまっているようにも感じる。

私たちFPはキャッシュフロー表を作り、「今のままでは将来の教育資金が不足しますよ」とか「老後資金が何歳で足りなくなりますよ」・・・「だから節約しましょう」「保険料を減らしましょう」等々のアドバイスをする人が多く見受けられます。

収入を増やすこと。その増やし方をアドバイスできるようになれれば・・・と思ったりしています。

それから専業主婦で子育て中で忙しいせいもあるのかもしれませんが、家の中がとり散らかり目のやり場もないような落ち着かない生活空間のご家庭も、このところ多く見受けられます。

整理整頓を心がけることで、気持ちが変わり、生活が変わり、心が変わり家族や人生が変わるかもしれないと思えるようなケースのご家庭を拝見する機会がありました。

子育てで忙しいから整理整頓ができない・・・という見方もありますが、潜在意識の中に潜む何かがそうさせているようなそんな気がしました。

片付けてもまた散らかる。食に対しても作って食べて汚して片付ける。誰からも評価してもらえない、「ありがとう」と言ってもらえないそんな気持ちがあるのかしら・・・と。

仕事を持っている女性はもっと大変!保育所や幼稚園に幼い子供を預けながら働いていて急に熱が出たから「引取りに来てください」ということはよくあること。

板橋区で始まったサービス。

病気にかかっている子供の世話を代行。親に代わり子供を迎えに行ってお子さんのお迎えが来るまで、保育士、看護師、医師、栄養士などの専門家が幼稚園の一室などで看護してくれるというサービス。保育と看護をする病児保育を行ってくれるそうです。

少子化に歯止めをかける支援策として東京都では、それぞれの区でいろいろな子育て支援のサービスが実施されています。

経済的にも精神的にも環境的にも子育てがしやすい社会になることを願っています。

                                          by FP社長

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2009年5月13日 (水)

渋滞と行列

高速道路がETC搭載車であれば、土日は1000円乗り放題で利用できるとあって
ゴールデンウィークは、各地の高速道路で
何十キロもの車の渋滞が起きました。

限られた道路に多くの車が殺到すれば渋滞はどうしても起きます。

「渋滞学」の創始者、西成活裕・東京大学大学教授の
『クルマの渋滞 アリの行列』(技術評論社)によれば、
高速道路での渋滞の原因の1位は、緩やかな上り坂や窪地のように
少しへこんだ場所(サグ部)で起きる自然渋滞。

そして渋滞の引き金となるのは密度。高速道路なら車間距離が40メートル以下に
詰まると減速の波が後方に伝わるようになる。これが渋滞のメカニズムだそうです。

慌てて車間距離を詰めようとすると全体が損をする。むしろ車間を40メートル以上開け
ゆったり走ったほうが早い。
ことわざの「急がば回れ」は科学的に正しかった」と言うこと。

本日の日経新聞に掲載されていましたので以前に読んだ本を思い出しました。

10年ほど前には料金所が渋滞原因のトップでしたが、ETCの
普及で今では激減しているといいます。

西成教授の「渋滞学」は車の
渋滞だけでなく、アリの行列や電車のダンゴ運転、劇場のトイレの順番待ち、ラーメン店の行列など、日常目にしたり経験するさまざまな事象を対象にしています。

その1つにスーパーのレジの前の行列があり、列の最後尾に並び
始めてからレジにたどり着くまでのおおよその時間が予測できる
公式が紹介されています。

 米マサチューセッツ工科大学のジョン・リトル教授が1961年
に証明した「リトルの公式」と呼ばれるもので、

  待ち時間(分)=(行列の総人数)÷(1分間の到着人数)

というシンプルな式。

レジの前に20人ほどの列ができているとします。いったいどの

くらい待たされるだろうかと、つい前ばかり気にしてしまいますが、

答えは前ではなく後ろにあるのです。

自分の後ろに1分間に2人が並んだら20÷2=10分、4人が

並んだとしたら20÷4=5分。これが予測される待ち時間という

ことになるという。スーパーのレジに20人はありえないかもしれませんが・・・

連休に行った仙台の牛タンのお店は、どこも行列状態で
待っていました。
10人ほどの列ができているとします。いったいどの
くらい待たされるだろうかと、つい前ばかり気にしてしまいますが、
答えは前ではなく後ろにあったのですね。

自分の後ろに1分間に2人が並んだら10÷2=5分、4人が
並んだとしたら10÷4=2.5分。
これが予測される待ち時間というわけですか。

しかしスーパーのように一人ひとりで待っている場合と牛タン屋さんのように            家族連れやカップルなど集団で待っている場合はどうなるのかしら?              ちょっと疑問が?また調べておきましょう。 

    待ち時間(分)=(行列の総人数)÷(1分間の到着人数)

この公式は使えそうなので行列が付くお店のイライラはずいぶん軽くなると思いますの
でぜひお試しください。

来週末は、ETC割引を使って
高速道路を走りまた富山へ行ってきます。

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2009年5月 1日 (金)

人生の扉

身近な母の死ということに接し、短い間にさまざまな想いを感じ考えてきたように思う。

心理学では、「エリクソンの人間成長の8段階の中の8段階目、自我の統合」という考え方がある。老年期において、それまでの人生のすべてを受け入れすべてを肯定する。傷つけ傷つけられた人生だったけど・・・あの時後悔したけど・・・あの人との出会いがあったから今の自分がいる。

すべての人生と出会いの人生がキャストだった。演出してもらった。私は母の人生のすべてを受け止めすべてを肯定して送り出すことにしようと思ったときフッと気が楽になり気持ちの整理がついた。

「死」を見つめることにより「生き方」を考えることができた。私のこれからの生き方を。

長い人生を生きてくると好むと好まざるに関わらず幾つかの節目を越えてきているが、 その節を境に自分の人生が変わってきた。今回のことはその大きな節目のひとつだったような気がする。

新しい扉を開いて新しい道を進んでいくための大きな節目。 これまでも幾つもの扉を開けてきたようにこれからも幾つもの人生の扉を開けていくのだろう・・・と思う。

今回のことは、「大きな人生の扉」をあけたような気がする。   090424_174002

~春が また 来るたび ひとつ 年を 重ね

目に映る 景色も 少しずつ 変わるよ

陽気に はしゃいでた 幼い日は 遠く

気がつけば 五十路を 越えた私がいる

信じられない 速さで 時は 過ぎ去ると 知ってしまったら

どんな 小さなことも 覚えていたいと 心が言ったよ  


I say it's fan to be 20

You say it's great to be 30

And they say it's lovely to be 40

But I feel it's nice to be 50

満開の桜や 色づく 山の紅葉を

この先 いったい何度 見ることになるだろう

ひとつ ひとつ 人生の扉を開けては 感じるその重さ

ひとり ひとり 愛する人たちのために 生きてゆきたいよ 

I say it's fan to be 60

You say it's alright to be 70

And say still good to be 80

But I'll maybe live over 90

君のデニムの青が 褪せてゆくほど 味わい増すように

長い旅路の果てに 輝く何かが 誰にでもあるさ 

I say it's sad to get weak

You say it's hard to get older

And they say that life has no meaning

But I still believe it's worth living

But I still believe it's worth living

                私の新たなるスタートを感じる。

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2009年4月10日 (金)

母の「おくりびと」として

立山連峰がくっきりきれいに見える晴天の日。
桜の花がこぼれんばかりの満開の日。今年は花の見ごろが
例年より長く続いていた。

そんな春の日に母は天国へ旅立ちました。

まだ小さい孫のTaiちゃんやKahoちゃんの成長も見届けたかったでしょう。
我が家の3人の子供たちの結婚式も出たかったでしょう。
もっともっと長生きしたかったでしょう。

小さい身体でよく頑張ったと思います。
母が一生懸命生きた証は、妹の子供たち2人に、我が家の子供たち3人に受け継
がれていくことでしょう。母の命のバトンはしっかりと渡されていきます。

妹も私もそれぞれ嫁ぎ先の家族の一員として幸せな人生を歩んでいきますから
安心してね。

そして次に生まれてくるときは、もっと明るく楽しい人生を送れますように・・・
本当に今まで見守ってくれてありがとう。そんな想いで
私は「おくりびと」として母に感謝の言葉をかけました。

誰にも迷惑をかけないように・・・そんな思いが伝わってきます。
入院3ヶ月あまり・・・我が家の孫たちも駆けつけて来て、子供たちの優しさに、行動に、「大人になっているんだなぁ・・・」と親の私たちが実感するくらいの思いやりのきもちを伝え、疎遠だった妹を私を通して呼び寄せ心の雪解けを確認して、              桜満開の日に、私たちがお花見してから逝きなよ・・・と半分冗談のように言っていた言葉のとおり        

「私は話せなかったけど全部わかっていたよ」というメッセージを残したがごとく。

母らしい潔い最期だったような気がします。

地元の新聞のお悔み覧に掲載された、私が喪主としての記事を見て            お通夜に来てくださった30年来のお友達のNorikoさん。とても嬉しかった。         今日は、電報までありがとう。

東京の3人のFPの皆さんからも電報をいただいた。ありがとう。たくさんのお心遣いを、 温かい言葉を、メールをいただきました。本当にありがとうございました。

人の訃報に接したときどのように接するとその想いが伝えられるのか
体験から学んだような気がします。

母の「おくりびと」としてたくさんのことを学び考えさせてもらった気がします。このことは私のこれからの人生においてきっとよい指針を与えてくれることと確信しています。            お母さんありがとう!! 合掌。。。

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2009年4月 9日 (木)

桜満開・・・母が逝く

母は昭和4年生まれ79歳。この頃の生まれの方々は皆そうでしょうが、昭和の激動の時期を生き抜いてきている。女性といえども気丈で気骨が有る人でした。200904_011

小さい身体で一生懸命に一生懸命に生きた人だった。お人よしで献身的で・・・方向性が違ってしまって私や妹は母に翻弄され、振り回されていた時期もあった。

そんな色々のことがず~っと気持ちの中で引きずっていたことも事実。たぶんこんな気持ちをぬぐいさって送り出せるように、この3ヶ月母は気持ちの準備をさせてくれたのかもしれない。

6年前ケアハウスに入る前は、1人暮らしだったから風邪を引いたりすると食べやすい料理を作って宅急便で送ったりしていた。

ラッキーにも新築のケアハウスに入居し3食昼寝つきの生活に十分満足。しかし人間というのはだんだん不満が出てくるもので、食事の好き嫌い、人付き合いの好き嫌いを言い始めどんどん世界が狭くなっていった。

5年前には、母と私と娘と3人でハワイ旅行にも出かけた。富山は夜7時頃になるとほとんどのお店はシャッターを閉めてしまう。そんな固定概念から私と娘がワイキキ通りにショッピングに出かけると9時頃に帰っても遅いといって怒っていた。母は疲れたからとホテルで待っていたのだが、言い出したら聞かなかった。まさに珍道中だった。

足が弱っていたから歩くのが人一倍遅かったり大変だった。モアナサーフライダーからDSFギャラリアまでも歩くのが大変で急いでいるときは、タクシーを頼んだ。ロールスロイスのタクシーだった。(笑)そんなだったから2日目からは車椅子を借りてオプショナルツアーに出かけた。車椅子は優遇されてVIP扱いだった。

始めは車椅子に抵抗を示していた母も、快適さがわかったようであっという間の楽しい5日間が過ぎた。そんな時の思い出の写真の一枚が母の遺影になった。

写真を写す時はあまり笑わない母だが、たった一枚だけピースをして頭に生花のレイをのせ、ややニンマリした写真だった。孫と一緒に写した楽しそうな一枚。娘が自分のアルバムから引っ張り出してきた。

今度生まれ変わってくるときは、こんな風な楽しい人生を送れますように・・・という願いも込めて。

その写真を見てお寺のご住職は、普段の母とのギャップが有りすぎるので一瞬驚いたとおっしゃっていた。みな大笑いである。

棺の中に入れる思い出の品。娘が母の部屋からかつらを見つけて頭につけてもらうように納棺師の方に頼む。綺麗に頭につけハワイのレイのお花と同じデンファレの花を頭に飾ってもらった。とても可愛らしくなって皆で笑っってしまった。

200904_010 「おくりびと」を映画でみていたせいか、心を込めて送り出す分にはある意味「なんでもあり」と思えるようになっていた。

ケアハウスに住んで右も左も高齢者の中、どんどん年をとっていく中、交友関係も狭くなり幻想を見たり鬱になっていったことが、あっという間に戻らぬ人となった原因のひとつと思える。

母は、いいところもたくさん持っている人だったが物事をマイナスに、悪いところ、欠点ばかり気にしたりするところがあった。そんなことも拍車をかけたのでしょう。

もう少しそのあたりをわかってあげられればよかったなあ・・・と思う。

母から学んだこと。辛いこと悲しいことがあっても一生懸命、一生懸命に生きること。人のために役に立つ仕事をすること。反面教師的ではあるが前向きにプラスに考え、向上心を持って生きること。などなど・・・

通夜は母のそばに次男と泊まりこむことにして、他の家族はホテルへ。

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2009年4月 8日 (水)

桜満開・・・母は逝く

朝8時半すぎ、入院中の母の病院から連絡が入る。昨夜から呼吸が激しくなっていたのですが今朝・・・

富山の松川べりの桜は例年以上にみごとに咲き誇っているそんな日に母は、天国に逝きました。桜の花びらが額からす~っと離れヒラヒラと舞うように1人で旅立ちました。

先月、「桜の花見をするまで頑張って・・・」と言っていたのを守ったかのように。200904_007

互助会のオークスに連絡をいれ、病院からセレモニーホールへ運んで安置して頂くことに。遠くに住んでいるとすぐに駆けつけることができないが、本当に助かりました。

夕方にFP協会の広報スタッフ募集の二次面接を受けて、長男と娘が戻るのを待って愛犬を連れ、明け方から車で関越道を走り富山へ向かう。

翌朝一番でセレモニーホールで通夜・葬儀の打合せ。祭壇やお花に生前の写真にコメントを入れて渡すとDVDにして大きな画面で映像を流してくださるとのこと。遺影の写真や他の写真選び。

通夜振る舞いのお料理に、香典のお返し、会葬のお礼の品、引き出物・・・と

お花やお供物・・・親戚や知り合いから申し出を戴き結構素敵な感じに

それでも通夜振る舞いのお料理やお持ち帰りいただく引き出物に、心を込めたくて業者にはお願いしないことに。遠くから来てくださる方々へせめてものお礼をこめて。200904_009

母がいつも連れて行ってくれていたお鮨屋さんで、今が旬の「しろえび」や「生のほたるいか」のお鮨を入れたもので人数分注文。

お料理は、デパートで和食のオードブルを依頼。引き出物は、母が好きだったものや私たちによく送ってくれていた、氷見うどんやしろえびせんべいなどを取り揃えてお渡しすることに。そんなに多い数ではないので心をこめて選ぶ。

ありきたりのタオルとかしいたけのセットとかで済ませたくはなかった。業者さんにとってはちょっと嫌な客かもしれないが。

こんなとき娘がいてくれると本当に助かる。いろいろサポートしてくれるのでよかったなぁ~と思う。

お通夜は明日。今夜はよく眠っておこうと思う。

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2009年4月 1日 (水)

スタート!

新年度がスタート。待ちに待った桜の季節です。

今日から首都圏のJRの構内で禁煙が実施されます。

愛煙家にとっては苦しいことでしょうね。

ある会社の社長さん。2年前の今日から禁煙を実行され
続けられています。大きな拍手をお送りいたします。

その強い信念に心より敬服いたします。これからもお身体ご自愛され
ご活躍されますように。

そして今日から大阪は堺市の職員として再就職が決まり、新しいスタートを切ったN.K君いろいろ紆余曲折な3年間を送り納得のいく結果に落ち着いたようです。

一つのハードルを乗り越えてもまた必ず次のハードルがある。それが成長していくと言うこと。新しい職場に乾杯!

私は、先週から土曜日に大阪で修了式、日曜日は天神橋商店街ツアーに
メンタルの仲間40人くらいとでかけ、夕方からN.K君と会い夜中まで話をしていました。

天満宮では、ガイドさんからお話を伺っている様子が
NHKの取材のニュースにしっかり収録されています。
ローカル版で4月6日朝6時10分くらいから放映と聞いていますが。

月曜日は大阪で講座があり、火曜日は四日市のクライアント。
そして夜遅くに富山へ移動。

今日は母を見舞って夕方やっと東京へ戻ります。
本日のアポが変更になったので富山へ回りました。

新年度のスタート!「さあぁ~新しい自分に生まれ変わって
企画していることを始めていきますよ~」

たくさんの人たちが協力して下さることを
おっしゃってくださってうれしい限りです。
どうぞよろしくお願いいたします。

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2009年3月19日 (木)

「母 危篤 Ⅱ」・・・自己開示

母が危篤
そんな連絡を受け駆けつける途中いろいろなことを考えていた。

私は、親孝行できただろうか?このまま最期の別れになったとき
後悔はしないだろうか?

親孝行ってどんなことをいうのか?

心配をかけない。いつも気遣ってあげる。プレゼントをする。
旅行に連れて行ってあげる。etc・・・そんなことは結構していたと思う。

進学も就職も進路は自分で決め高校は授業料免除、奨学金を受けた。大学も自分で出た。結婚にしても全部自分で決め費用もすべて出した。親に心配をかけたり相談することはほとんどなかった。しかし
彼女のせいでいつも足を引っ張られていたように思う。

実の父を知らない私。3歳から17歳くらいまでの義父である妹の父。
その人の感情の赴くままに可愛がられたり、怒られたりしていた子供のころ。
夫婦喧嘩が絶えなかった。いつも義父の顔色を見て育った。

今で言えば虐待だった・・・

19歳くらいからの二人目の義父。やっと家族3人で暮らし始めたのに。
なさぬ仲故に曲がった感情。義父方の10歳以上も年上の兄妹3人との確執。

私は、絶対富山では人生を送らない。いずれ富山を出る・・・とそう決めていた。

結婚によりそれが実現。しかし結婚式を目の前にして
二人目の義父と母は別れることになった・・・仮結納までは一緒だったのに・・・

婚家に合わせる顔がなかった。それなら始めからいなければよかったのに。
やるせない気持ち。持って行きようのない怒り、切なさ。今でも鮮明に
よみがえる。

しかし私はその時母を責めたり、そんな悲しい自分の気持ちを伝えていなかった。
今思えば、そのときにきちんと自分の気持ちを伝えることが大切だった。
それ以前のことも含めて自分の気持ちを伝えなければわからないのに。
カウンセラーの勉強をして始めて理解した。でも

どんな風に伝えてよいかわからなかった。

幸せなことに主人の両親は私に何を言うことなく受け入れてくれた。
そのときのことで、私は今だかつて嫌味や小言を言われたことがない。
実にすばらしい両親。主人も同じ。いつも心から感謝している。

母がとてもよくできた人で、明るくて面倒見がよく
嫁姑のいざこざは一切なかった。私の未熟さ足りなさを責めることなく
諭してもらっていたように思う。

そんなだったから余計に、母に私の気持ちをぶつけることなく
過ぎてきた。

結婚式の前後しばらくは縁が切れていた二人目の父。いつの間にか母と縁りが
戻っていた。婚家にますます合わせる顔がなかった。
義父に対しても母と妹のために何も言わずガマンした。表面では何事もないよう
に取り繕った。すべてを深い悲しみの中で心の奥で受け止めた。

でも母のおかげで3人の子供たちを金沢・東京・札幌で出産するときは、最小限の範囲だったが手伝ってもらえた。
出産のときは母に対する感謝の念が溢れた。
孫たちにもいろいろ気遣ってくれた。

ただ、私の中にあるいろいろなトラウマ。無意識の領域にある固定概念。それは
母の生き方により呪縛にあっていることが、カウンセラーの勉強をしてきて
理解できた。私も無意識にしていたこと。

「こんなことを言うと相手を怒らせてしまうかもしれない
喧嘩になるかも・・・嫌われるかも・・・」と思うといえなくて
心の中にガマンという形で仕舞い込み、しかし「物言わずは腹ふくるる技なり」
いつか爆発してしまって、結局は相手を傷つけてしまうことに。最悪の状態にな
る。

では、どのように伝えたらよいのか。
私は・・・・悲しい。辛い。淋しい。主語を「私は・・・」で始める。
「Iメッセージで伝えること」が大切。このことはこれからまた・・・

私は、こんな自分の生い立ちを今まで人に言えなかった。思い出しただけでも
涙が溢れて仕方がなかったから・・・話すことができなかった。

そしてこんな恥ずかしいことを
私の身に起きていたことを言えなかった。恥だと思っていたから。

ある方がお会いしたばかりのころ「登美子さんは、いい育ちをしはったんですね」と言われた。そんな風に思われることが多くて余計のこと言えなかった。

こんな恥ずかしいこと悲しいことは一切
「なかったこと」として心の中に封印をしていた。母の人生を私は恥だと
思っていたことになる。否定していたことになる。しかし

そんな考えは間違っていた。母は彼女の人生を一生懸命に生きたのだ。
恋愛の価値観はそれぞれ違う。恋愛心理学で学んで実感した。
それを評価することは私にする必要はない。そんな資格もない。

ただ母の人生を参考にして私のこれからの人生を考える。私の人生を生きること
が大切なのだと思った。私と母は別人格。母は母。私は私。そんなこと考えたら当たり前のことだが固定観念の中でグルグル回っていた。

小康状態が続いている母の病院を抜け出して、娘と富山の美味しいお鮨を食べに
出かけたときに、こんな話を初めてした。

娘はびっくりしていた。「どうしてもっと早く言ってくれなかったの?」
「もっと言ってくれたらよかったのに・・・」「でも、そんな辛い思いをしているのに
ママは明るくて前向きだよね。どうして?」って言ってくれた。

「パパのおかげだよ」とやっと一言。

ちょっと前までは、こんなことを口にしようとすると涙が溢れ出てどうしようも
なかったから話すことができなかった。もちろん心の封印をしていたことも
ある。私は生まれてからず~と幸せに過ごしてきたのだ。そんな惨めな思いなんてしたことがない。。。そう思いたかった。
そんな女優を演じ続けていた。

私自身に産業カウンセラーを昨年つけた。3年前からN氏に経営コンサルタント、
昨年夏からY氏に産業カウンセラーをお願いしている。

産業カウンセラーはこれからの私の仕事の方向性を見つけるためだった。なのに
私の心の封印を解くカウンセリングになったのだ。

自己開示して自己一致しなければ方向性も定まらない。自分自身がカウンセラー
にもなることができないと理解した。

もっといろいろなことを話したが、あまりにも涙が出て仕方がなかった。しかし
1回それを乗り越えてしまえば少しずつ自己開示が他の人にもできるようになっ
た。いままではその反応が恐かった。

「あの人こんな生まれなんだって・・・」「あの人のお母さん、こうなんだって
・・・」と陰口を言われるような気がしてイヤだった。

まだまだ家柄や学歴や肩書きで評価する社会だと思っていたから。

自分の素をそのままに出せる人間関係。それを「良い・悪い」の評価ではなく
そのままを受け止めてくれる信頼関係。私が信じていないから、恐れているから
相手からも
信頼関係を持った関係性ができないのだと思った。

昨年からの産業カウンセリングで、「心の封印」を解くできごとができた。そし
て今回の「母の危篤騒ぎ」でしっかりと見つめてみることにより一つの区切りが
できた。
今だから言えることかもしれないが、母に感謝である。

今日は、長男の誕生日である。母の命日にはならなくて良かった。

母の枕元で、孫たちが「おばあちゃ~ん」と大きな声で呼びかけて
お互いに反応があったように感じた。「おばあちゃん、今返事したよね」って皆
で空気を感じた。

仕事も休んで皆が飛んできて良かったと感じた。
それでも主治医には、こんな状態になったら2~3日と言われた。

22日は、新潟で子供たちの従兄弟の結婚式がある。その前に母の葬儀で
また、迷惑をかけたくないと言う気持ちが働いている。なんとか4月まで
持って欲しい。

皆で「おばあちゃんね~。3月みんな忙しいからさ、4月までがんばってよ。
桜が咲くまで待ってお花見しようよ」と次男が声をかける。

どっと皆で笑う。ナント母の血圧の数値が121まで跳ね上がった。
「おばあちゃん聞こえてるかも!!」ってまたみんなで声をかける。

もう少しみんなの心の準備ができるまで頑張って!!
私も月末の日本メンタルヘルス協会の研究科の修了式に出席しなければ
カウンセラーの資格授与が1年延びることになってしまうから
祈るような気持ちで病院のイスを並べて二晩目をすごす。

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