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2009年4月 9日 (木)

桜満開・・・母が逝く

母は昭和4年生まれ79歳。この頃の生まれの方々は皆そうでしょうが、昭和の激動の時期を生き抜いてきている。女性といえども気丈で気骨が有る人でした。200904_011

小さい身体で一生懸命に一生懸命に生きた人だった。お人よしで献身的で・・・方向性が違ってしまって私や妹は母に翻弄され、振り回されていた時期もあった。

そんな色々のことがず~っと気持ちの中で引きずっていたことも事実。たぶんこんな気持ちをぬぐいさって送り出せるように、この3ヶ月母は気持ちの準備をさせてくれたのかもしれない。

6年前ケアハウスに入る前は、1人暮らしだったから風邪を引いたりすると食べやすい料理を作って宅急便で送ったりしていた。

ラッキーにも新築のケアハウスに入居し3食昼寝つきの生活に十分満足。しかし人間というのはだんだん不満が出てくるもので、食事の好き嫌い、人付き合いの好き嫌いを言い始めどんどん世界が狭くなっていった。

5年前には、母と私と娘と3人でハワイ旅行にも出かけた。富山は夜7時頃になるとほとんどのお店はシャッターを閉めてしまう。そんな固定概念から私と娘がワイキキ通りにショッピングに出かけると9時頃に帰っても遅いといって怒っていた。母は疲れたからとホテルで待っていたのだが、言い出したら聞かなかった。まさに珍道中だった。

足が弱っていたから歩くのが人一倍遅かったり大変だった。モアナサーフライダーからDSFギャラリアまでも歩くのが大変で急いでいるときは、タクシーを頼んだ。ロールスロイスのタクシーだった。(笑)そんなだったから2日目からは車椅子を借りてオプショナルツアーに出かけた。車椅子は優遇されてVIP扱いだった。

始めは車椅子に抵抗を示していた母も、快適さがわかったようであっという間の楽しい5日間が過ぎた。そんな時の思い出の写真の一枚が母の遺影になった。

写真を写す時はあまり笑わない母だが、たった一枚だけピースをして頭に生花のレイをのせ、ややニンマリした写真だった。孫と一緒に写した楽しそうな一枚。娘が自分のアルバムから引っ張り出してきた。

今度生まれ変わってくるときは、こんな風な楽しい人生を送れますように・・・という願いも込めて。

その写真を見てお寺のご住職は、普段の母とのギャップが有りすぎるので一瞬驚いたとおっしゃっていた。みな大笑いである。

棺の中に入れる思い出の品。娘が母の部屋からかつらを見つけて頭につけてもらうように納棺師の方に頼む。綺麗に頭につけハワイのレイのお花と同じデンファレの花を頭に飾ってもらった。とても可愛らしくなって皆で笑っってしまった。

200904_010 「おくりびと」を映画でみていたせいか、心を込めて送り出す分にはある意味「なんでもあり」と思えるようになっていた。

ケアハウスに住んで右も左も高齢者の中、どんどん年をとっていく中、交友関係も狭くなり幻想を見たり鬱になっていったことが、あっという間に戻らぬ人となった原因のひとつと思える。

母は、いいところもたくさん持っている人だったが物事をマイナスに、悪いところ、欠点ばかり気にしたりするところがあった。そんなことも拍車をかけたのでしょう。

もう少しそのあたりをわかってあげられればよかったなあ・・・と思う。

母から学んだこと。辛いこと悲しいことがあっても一生懸命、一生懸命に生きること。人のために役に立つ仕事をすること。反面教師的ではあるが前向きにプラスに考え、向上心を持って生きること。などなど・・・

通夜は母のそばに次男と泊まりこむことにして、他の家族はホテルへ。

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