2011年7月18日 (月)

なでしこジャパン

なでしこジャパンがワールドカップで初優勝!18日の未明から日本中がテレビに釘付けになってハラハラドキドキだったことと思います。

ドイツ・フランクフルトで2011年7月17日(日本時間18日)に行われたサッカー女子ワールドカップ(W杯)の決勝は、なでしこジャパンがPK戦の末に米国を破り、初優勝を飾りました。

米が先取点を入れると追いつき、2点目を取られた時には一瞬もうダメかと思いましたが、沢穂希選手が右足で鮮やかな同点弾を決め、試合は2-2のままホイッスル。PK戦に。

PK戦ではキーパーの海堀あゆみ選手が大活躍。米の1人目のシュートをスーパーセーブ。2人目失敗の後3人目のゴールも止めた。

これに対して日本は1人目のフェイントのようなシュートの宮間選手、3人目の阪口夢穂選手が決める。米4人目ワンバック選手がようやく1本返したものの、日本4人目の熊谷紗希選手が落ち着いてゴールし、3-1のスコアでPK戦を制したなでしこジャパンが、W杯初の戴冠となった。20歳の熊谷紗希選手の落ち着いたシュートが素晴らしい!

粘って粘って「あきらめなければ夢は叶うもの、叶えるもの」改めて実感させてもらいました。成功するのは、カンタン。あきらめないで成功するまで続けること・・・が秘訣。でもそれがなかなか難しいのですが!

日本中が沸いた朝の始まりでした。soccer

2007年9月18日 (火)

ママでも『金』に思う

ママでも金 谷選手が示した「夢の続き」

 リオデジャネイロで開かれていた世界柔道選手権最終日、女子48キロ級でママさん選手の谷亮子選手が2大会ぶり7度目の世界チャンピオンに輝きましたね。

2004年のアテネ五輪で連覇を達成して以来、長男の出産のため柔道から遠ざかっていましたが、その空白を感じさせない女王の戦いぶりは日本中に感動を呼んだのではないでしょうか。

 谷選手が初めて柔道の国際舞台に登場したのは90年12月の第8回福岡国際女子柔道選手権。

当時15歳で中学3年の田村亮子選手は、準決勝で無敵を誇った世界選手権4度制覇のブリッグス選手(英国)と対戦、わずか28秒で一本勝ちした。決勝でも中国選手を破って史上最年少優勝の離れ業を演じ、日本中を驚かせたのでした。

 人気漫画の主人公、YAWARAの活躍を地で行く田村選手に早速、「ヤワラちゃん」の愛称が付けられ、たちまち国民的ヒロインに。

身長140センチそこそこの小さな体で切れ味鋭い大技を繰り出す田村選手は、小さくても高性能な日本製品の象徴のように思われました。

 以来、日本柔道といえば「ヤワラちゃん」と田村選手を中心に回り続けてきたといって過言ではないかもしれません。

日本人の心に刻み込まれたのは勝ち試合ばかりではないですよね。96年アトランタ五輪では、金メダル確実といわれながら決勝で無名のケー・スンヒ選手(北朝鮮)にまさかの敗戦を喫し、日本中が意気消沈。

 03年の世界選手権で6連覇を達成後、プロ野球選手の谷佳知選手(現巨人)と結婚、姓が変わった翌年のアテネ五輪で「谷でも金」を有言実行。

その後、出産準備で05年の世界選手権を欠場、同年末に長男・佳亮くんを出産し、今回の世界選手権では「ママでも金」を達成、北京五輪につなげました。

 今回の世界選手権では、逆風の中、谷選手は、長年の選手生活で鍛え上げた精神力と技術力で克服してみせた。

 故障と隣り合わせの格闘技で、93年の世界選手権以来、足掛け15年にわたり世界のトップに君臨してきた谷選手。これだけで驚嘆に値するが、結婚、出産という生活環境の変化を乗り越えての偉業達成は感動を与えてくれます。

 どうしても女子選手は、結婚を機に競技から離れるケースが少なくなかった。結婚、出産後も「夢の続き」があることを谷選手が身をもって示してくれました。

 優勝インタビューで珍しく涙・涙で 谷選手がまず家族に感謝していました。ママさん選手の活躍には周囲の理解が不可欠でしょう。競技団体やスポンサー企業の支援も欠かせないでしょう。

 谷選手が次々と重い扉を押し開けてくれている。それに続く女子選手が出てくることを期待したいものです。

そして 働く女性の私も、たくさんある「夢の続き」を実現していきたいと心新たに思えた「ママとなった谷選手の偉業」のニュースでした。  そう念ずれば花開きますから!!